石少Q

けし粒のいのちでも私たち

VTuberと私の空洞

身長とか体型とか、VTuberの身体をイジるようなコメントと、それにキレるVTuber、という構図は今でもよく見る。全然おもしろくないしそういうの、もうやめなよと思うんだけど、ここにはVTuber本人も本質的に責任を負っていない(いつでも、いくらでも作り変えられるはずだった)身体と、それを知っていて無責任な言葉を投げるリスナーの、ひとつの空洞があるように思えた。VTuberが多くは自分の身体を大切に思っているということ、その背後にはイラストレーターやモデラーの仕事があるということは前提としつつも。

VTuberはどこまで自分の身体を、自分の身体だと思っているんだろう。急に垢抜けたレイド君が、新モデルと旧モデルの間につけていた折り合いのことがわからない。安土桃が、鳴くんがあのとき何を思っていたのかが、私にはわからない。

いつだったか、笹木のモデルに不具合のある時期があった。私はその瞬間を見たことは無かったが、顔がいびつになるバグだったらしくて、「ふと見たとき自分の顔が変なになってると萎えんねん」というようなことを言っていた。そう言う笹木に、顔が変なになってるよ、と言うことなんてできないはずだ。現実の人間にそう伝えられないように。

話は身体に関することだけではないかもしれない。もはや「他者についてなにかを言うこと」を怖がる私が、VTuberについてなら延々と喋れてしまうのはどうしてだろう。配信はひとつひとつが作品だから? と考えるのに無理があることはすぐにわかる。

リアルのYouTuberをあんまり見ないから比較するのも難しいけど、例えば匿名ラジオについて、「ARuFaが」「恐山が」とツイートするのはやっぱり少し緊張する。「委員長が」「名取が」「のせが」は、踏み込み気味のことを言うとき以外は怖いことなんてない。

生身の人間はよく事故る。回線の不調で動画がちょうど半目の人を映しながら止まってしまったときの、居たたまれない気持ちよ。卯月コウはよくちょっとおもしろい表情で顔が固まる。そのことに対しては特に申し訳なくもならないし、ちょっとおもしろい表情、とか、やっぱり言えてしまう。

VTuberのこと生きてると思っているし、ほとんどリアルの人間と同じように感じている。と同時に、そのフィクション性に依りながら動いている部分もある。現実の人間に対して言えないことがVTuberに対してなら言える。これはうれしくて怖いことだと思う。