石少Q

けし粒のいのちでも私たち

日記帳が燃やされるとき

委員長の言う死ぬのが怖いという感覚がいまいちわからなかった。いや、怖いことは怖いけど、普通に嫌、といった程度で、委員長の恐れ方はそんな比じゃないように思えた。でもいつだったか、委員長がそれを「意識を失うのが怖い」と言い換えたとき、ひとつ繋がるものがあった。それは私のなかにずっとあった、過去を忘れるのを恐れる感覚とよく似ているんじゃないかと思った。

「記憶は薄れるから、記録しておくんだよ」と言って日記を書きつけていたのは少女終末旅行のチトであったが、そのチトに対して人工知能は「忘却のない永遠がどのようなものかわかりますか」と問いかける。そのクエスチョンを抱えたチトはやがて、極寒の地で暖を取るために日記帳を燃やすことになる。「たぶん私は忘れるのが怖かった」「だけど大丈夫…毎日ちゃんと目は覚めるし……まだ生きてる」と言って。

「人は忘れるから生きていける」という言葉に「でやんす」をつければパワポケ8の名言になるし、そうしなくても聞き覚えのあるフレーズであることに変わりはない。この類の言葉が人口に膾炙している事実は、忘却が普遍的な恐怖であることを明らかにする。忘却は死の換言であり、その前触れでもある。

永遠の命のむなしさに気づきながらも死ぬのが怖いと言って、永遠の記憶の狂気に気づきながらも忘却に抗おうとする。その相反を私は認めてしまう。やがてその声は聞こえなくなって、日記帳は燃やされてしまうのだとしても。

視るVTuber

 

ぶいすぽっ!所属のVTuber、花芽すみれさんが今日の夕方におこなっていた配信です。新居のPCがネットに繋がっていないため、スマホをフリーWi-Fiに繋げての配信らしい。当然画面は真っ暗で、本人の姿は写っていません。お茶漬けを食べながら喋る音、猫をあやす音、PCとモニターを繋げるためにガタガタと苦闘する音など、音だけがずっと配信されている。マイクもスマホ付属のもののようなので、序盤は空調の音がばりばりに入っていたりする。

そのような整っているとは言えない環境からおこなわれたこの配信が私にはすごく良いように思えて、それには電話のような質感がうれしいという気持ちの悪いオタク精神だったり、ラフな生活音がうれしいという悪趣味なピーピング精神に起因するものも無いではありませんが、もっと別のところに、刺さった理由が多分にある気がします。

 

ときおりVTuberはこの配信のように画面から姿を消します。それは例えばお料理配信だったり、ツイキャス配信、地上波ラジオへの出演、機材のトラブルや、あるいは誰かの枠に通話でゲリラ的に参加したときなども、ビジュアル無しで声のみが発信されますね。

最近ではあまり見なくなりましたが、以前はこのような状況になるとしばしば「VTuberの意味ないじゃん」みたいなコメントが向けられていました。絵が動いて喋るのがVTuberなんだから、絵が動かなきゃリアルの人間と変わんないじゃん、という理屈でしょうか。

私はVTuberを定義するもののひとつに「二次元の人間(あるいはその他の生物)であるという自認」があると思っていて、それはVTuberに限らずバーチャル○○は大体そうなんじゃないかとも思っています。「キズナアイです」と言っている、キズナアイの自覚を持った声と体があって、その声が同様に地上波ラジオで「キズナアイです」と言ったらそれはキズナアイなので、そこに二次元の体が動いているかどうかはあんまり関係ない気がします。

対照項として歌い手や実況者はアイコンこそ二次元絵であることが多いものの、二次元に住まう人間という自認は持っていない人が大半で、多くはリアルに軸足が置かれていると思います。その辺が領域を隔てるひとつの目安になりそうです。

 

先程の花芽すみれの配信は本当にラフな状態でおこなわれているのですが、そんな中でも「すみれは〜」「すみれが〜」と話し続けていて、ああ、花芽すみれが生活しているな、と思います。このときに想起されるイメージ、猫をあやしている花芽すみれや、PCにケーブルを繋ごうと苦闘する花芽すみれのイメージのことを考えると、この配信の良さもわかってきます。

現在の技術では、VTuberの表情や所作に「こぼされているもの」が多くあるのは共通の認識としてあると思います。極端な話をすれば、泣いても涙が出ない体がほとんどであるということです。

ではVTuberが画面から姿を消したときに泣いている声が聞こえたらどうでしょうか。そのとき脳裏に浮かぶのは「泣いているその、二次元の人の姿」で、これが意外と、他のどのコンテンツにも無い特異な点だと思います。声優さんがラジオで泣いるときに想起されるのはその声優さんが泣いている姿ですからね。

最初にキャラクターデザインが示される小説を読んでいるときや、ドラマCDを聴いているときに働く想像力には近いものがありそうですが、それらはすべてフィクションで、ノンフィクションの泣き声が二次元のビジュアルで想起されるものは他にあまり無いような気がします。

姿を画面に残したまま離席している状態でもある程度のビジュアライズは果たせるものですが、やっぱり固まってるその人の顔に目が行きますからね。VTuberが居ないときにだけ視えるものがある、という話でした。

 

そういえば私がVTuberにいよいよハマるきっかけになった「かえみとアパホテル」配信では、冒頭から画面にいない樋口楓がドライヤーで髪を乾かしていました。その頃から私はVTuberを視ることを楽しんでいたのかもしれません。どんなに優れたシナリオライターも思いつかないリアルな言葉を喋る二次元の人がいて、どんなに優れた演出家も見落とす生活の細部を過ごす二次元の人がいる、そのことにずっと魅力を感じているんだと思います。

委員長がリアルを愛しているから

 

2月に入ってから「雲隠れ」していた委員長、その理由は「にじさんじのことを考えない日を作りたくなったから」でした。しかしその声にあまりネガティヴな色は無く……。

かねてよりつけていた「やりたいことリスト」のデータが飛んでしまい、また一から列挙を始めた委員長は、そのラインナップがその気になれば今すぐにでも出来ることばかりだと気づき、新しいことに挑戦しなくなっていた自分に「ちょっとヤバいな」と思った……というのがお休みに至る流れで、ニュアンスとしては宇多田ヒカルの「人間活動に専念」に近い感じでしょうか。

いま書き起こしてて思いましたけど、こんなにはっきりと思考の流れを言ってくれるの凄いですね。「茶番で全てを煙に巻くのも考えたよ!」とも言っていましたが、それをやめただけの意志と意味があるように感じます。

 

この配信で驚いたのは「月ノ美兎じゃなかった時間について月ノ美兎が話していた」ことです。雑談のネタを作るでもなく懐かしい友達と会って、行きたい場所に行って、食べたいものを食べる。意識的に月ノ美兎から離れて過ごしていた時間があったことを月ノ美兎が話す。「ふつうの女の子に戻ります」と言って辞めるのではなくて、ふつうの女の子に戻ったり戻らなかったりする。

このような吐露を受けると、委員長が1stシングルのカップリングにセラニポージ『ありふれた毎日の歌』のカバーを選んだ、という事実が今まで以上に響いてきます。

曲の主人公は、大きなお城の中で目覚めて、庭で野バラを摘んで、ドレスを着て、夜には眠るお姫様。「バーチャルYouTuberを始めてからずっと同じ家にいるんですよ」「場所性に囚われないバーチャルYouTuber、なんと一番場所性に囚われてるという……

お城の門番はなぞなぞを出して「答えを当てたらここを開けましょう」と言いますが、それに対してお姫様が思うのは

私はただのカゴの中の小鳥

外へ出たらきっと泣きたくなるわ

答えは知ってる 言えないだけ

ということ。

きっと委員長もお城を出る答えは知っていて、言うべきなのか、いつ言うのか、言ってどうなるのか、そのような懊悩を抱えているんじゃないかと思います。勝手に思ってるだけですが、「ひょっとしてお城の中で一生暮らすつもりなの?」でも我々だってそうですからね……。

委員長がカバーするにあたって冒頭部分の伴奏が8bitサウンドで新たに書き下ろされています。あのファミコンみたいなピコピコ音ですね。そこから流麗なハープのグリッサンドで生楽器にバトンタッチする編曲はまさにバーチャルからリアルへの転換に重なって、ああ全部わかってやっているんだ、とすら思います。「今回の休止はあくまで『やりたいことリスト』を消化するためで、配信で話すのとは切り離して……つっても今日体験レポ作って来ちゃったんですけどね」!

 

一連の流れを振り返って改めて思うのは、委員長ってバーチャルと同じくらいリアルのことを愛しているんだろう、ということです。

「一緒に精一杯この世を生きましょう」って大袈裟な冗談のつもりだったらしいですが、紛れもなくバーチャル世界から現実を眼差してますね。バーチャルとリアルのどちらかに軸足を置くのではなく、境界を跨ぐ形で立っている。この2週間ってつまりその重心の均衡を取り直す期間だったんじゃないでしょうか。

煙に巻かれること無く話された「月ノ美兎から離れて過ごした時間があった」というリアルは、そのリアルさ故に我々の心の最深部に共鳴し、またその「月ノ美兎じゃなかった時間」に垣間見える現実への愛着は、そのまま我々の暮らしにも投射されます。これは今回に限らず過去の体験レポとか、ご学友とのエピソードとか、ずっとそうですね。

そして、どうやら月ノ美兎さんが愛しているっぽいそんな現実のことを私も好きになってみようと思う、そう思えたならば、それってこの上ないほどバーチャルアイドルだと思います。二次元の人が三次元の話をするまどろっこしい行為の意味は少なからずそこにある。「大きなお子さんたちを沼から救います」って、本当にそう。

アイドルで、ヒーローで、そしてなによりふつうの人間だからこんなに救われてるんだと思います。4年目に入ったこれからも、どうか健やかであってほしいと願うばかりです。「いつか浮かんで宇宙まで」!