石少Q

けし粒のいのちでも私たち

ゲームをする人

配信をぼんやり眺めていたら高校のときに好きだった人のことを思い出した。別に声が似ていたり、喋り方が似ていたりしたわけではなくて……「あの子戦国無双めちゃくちゃやり込んでるらしい」って変な噂を聞いたのがその人のことを気になりだしたきっかけだったから、配信者の、今ひとりでゲームをしているっていう状況のほうに目を向けたときに、ふと頭をよぎった。結局その噂が本当だったのかは最後まで知れなかったんだけど……。

ゲーマーへのフェチみたいなものがあるように感じる。ゲームやってる女の子すき、にはとどまらない、なにか憧れ?のようなものが。というか、録画した東京エンカウントは延々とループで流していたんだし、ハイスコアガールから入ってピコピコ少年まで熱心に読んでいたんだから、性別とかは関係なさそう。アニメたくさん観ている人、にも憧れはするけど、それはおおむね知識に対してで、視聴行為そのものに惹かれてはいない気がする。画面を見つめながらコントローラーを操作している、その空間自体が強い魅力を持っているように感じる。

受動と能動の両方が必要とされるゲームプレイを、ひとつの完成されたサイクル、閉じた円環運動とみなすことはできそうだ。プログラムと行為を絶えず交換しつづける……ならその、画面と身体とで完結した世界に没頭する人に惹きつけられるのも、なるほど理解できる。なにかに夢中になっている人は美しい、と言ってしまえば簡単だけど、夢中の対象が仮想のもので、しかもそこに働きかけをしている人の美しさは、その定型文に収まりきらない。